岩手西北医師会は滝沢市・八幡平市・雫石町・岩手町・葛巻町で開業、勤務する医師が加盟する社団法人です

 
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阿部郁夫先生

 葛巻町担当理事 阿部 郁夫

葛巻前夜―東日本大震災

 このたび、葛巻地域担当理事・西島康之先生の後を継ぐようを仰せつかった阿部です。よろしくお願い致します。葛巻に来て5年目を迎えた所です。雪のない時期はもちろんですが、特に冬は気温が低く雪も乾いて、冬の蔵王の稜線を歩く気分で病院に通えるのは予想もしなかった喜びです。すっかり体力がなくなり、まだ夏の岩手山も登る自信がない始末で、夏は八幡平近辺、源太ヶ岳、三つ石山、積雪期は地元の遠別・平庭岳周辺でうろうろしています。
 葛巻への誘いがあったのは、東日本大震災から、10日も経っていない頃で、この時は「わかりました。資料をお送りください」と返事をして終わりましたが、まずは避難所診療を支障なく全うすることで頭は一杯でした。とはいえ、最初のその10日間で当面の方針は決まっていたので、やや不謹慎ながらも長年の望みが現実になる予感を抑えきれないものがあったのも事実です。
 東日本大震災では生存者の中に外傷が少なかった事が特筆されていますが、避難所に集まった人は風邪、気管支炎などの軽症呼吸器疾患、腰痛などがほとんどでした。そこで感じたことは、避難された人たちの生活不活発病予防が大事だということです。避難所回診をした際には寝そべっていないようにと声をかけて歩きましたが、実際、短期の過度の安静が腰痛を引き起こした何人かに遭遇しました。4月13日、仙台市医師会開催の「生活不活発病の予防」講演会は時宜を得たものでした。これに先立って宮城野ブロックが担当した岡田小学校避難所へのバス路線の早期復旧を仙台市に要請しましたが、対応は早く、要請から4日で始発バスが走りました。被災者の元気回復には何といっても、被害の小さかった市中心部の既に戻りつつあった活気に触れてもらうことが大事と考えたからですが、交通局幹部の決断・対応の速さは今も忘れられないことです。被災者の健康にもう一つ重要なことは、自身でかかりつけ医を受診することだと考えました。そこで、避難所周辺の被災者かかりつけ医療機関を回る巡回バスの運行を計画しました。震災で客足の途絶えた(とばかり思っていました)ホテルに当たってバスをお借りし、運転ボランティアを買って出た運送会社の社長さんにお願いして、巡回バスを運行することにしました。バスは快くお貸し頂きましたが、実はホテルはどこも復興・復旧に携わる、あるいは被災住宅の被害調査をする県外業者の受け入れに忙殺され、またバスは作業現場への送迎でフル回転しており、バスの提供はホテルにとって大変な痛手であるとは全く想像していませんでした。知っていれば発想できなかったでしょう。巡回バスはその後、被災者が持っていたマイクロバスで、運転は被災者である元プロのバスドライバーに引き継がれました。被災者自身が被災者を病院、診療所に送り迎えする形となったわけで、被災者自立の象徴として新聞でも報道されました。こうして、避難所診療は5月中旬には地域医療へと円滑に移行し役目を終えました。当時、仙台市医師会宮城野ブロック代表幹事の2期目に入ったばかりでしたが、約束の2期をさらに半期短縮するようにお願いし、5月14日初めて葛巻を訪れ、すぐに転居を決意しました。「冬もこの町に住む」と言ってくれた家内の言葉に背中を押されたのでした。


西島康之先生

 葛巻町担当委員 西島 康之

基幹産業は酪農と林業。酪農は明治25年(西暦1892年)の乳牛導入以来、先人のたゆまぬ努力によって、現在では、牛の頭数、牛乳生産量とも東北一の酪農郷となっています。
林業は森林の持つ機能と調和した整備を進め、造林、伐採から木材の流通、加工まで、地場産材を利用した地域林業の確立を目指しています。
さらに、町の資源を有効活用し、生産、製造、サービスを担当する4つの第三セクターを組み合わせた総合産業による地域活性化を進めています。
今後も葛巻町民の皆様といっしょになって、疾病の予防と医療環境の改善に努力していきたいと思いますので、ご協力の程、よろしくお願い申し上げます。