岩手西北医師会

岩手西北医師会は、八幡平市・葛巻町・岩手町・雫石町・滝沢市で、
開業、勤務、居住する医師が加盟する団体です。
会員専用

髙橋 邦尚

会長あいさつ

~ 地域医療に求められるもの ~

 『医療連携システム』『多職種連携』そして『地域包括ケアシステム』。ここ10年、医療関係者は口を開けばこれらの言葉を言い続けてきた。しかし医療のあり方として、これは本当に正しかったのか? 10年前と何が変わったのか?
 3.11以降、国は岩手県を含む被災県に対して、災害支援という名の莫大な財政支援を行った。県内沿岸部の市町にも億単位の医療整備に関する財政支援が行われ、それと期を一にして日本全国で医療連携を錦の御旗に「○○ネット」「△△連携」など数多くの医療システムが構築された。滝沢市で我々が行おうとしていた在宅BOX事業に対しても、一部上場の大企業を含む数多くの関係業者が次々と訪れ、数々の提案とシステムの売り込みを行った。延べて20数社が入れ替わり立ち替り自社のシステムが滝沢市の医療連携にとって極めて素晴らしくそして理想的なものであると、プレゼンテーションを繰り返したのである。
 その中で、ある会社は自社のプランを早急に進めようとするあまり、殆ど何の説明もないまま私のクリニックに自分たちのネットワークに必要な大きなサーバーを置いて行った。私はその会社が自社のシステムを半ば強制的に押し付けていったように感じ、すぐに撤去を命じると共にその会社との繋がりを断絶した。(当院で以前から使っていたFAX等の機材まですぐに他社のものに替えたのは、私の意地である。)
 その後、その会社が提案したシステムを導入したと聞いたある沿岸地区医療機関のシステム管理者に電話で問い合わせた。“各種端末を含むシステムに関する機材を全て購入しましたが結局物品を置いていっただけでその後の指導もなく、全く機能しないまま現在では部屋の隅に放ったままです。どうしたらいいでしょうか?”と逆に助けを求められる始末であった。
 数例の成功例はあったもののこれらのような事例が県内各地にみられ、その事業に費やされた億単位の助成金は何の実効もみないままに今日に至っている。
 誤解を覚悟して言えば、我々の地域医療は3.11の被災地対策行政の流れの中で充分な検討判断をされることもなく、地域の状況を無視し被災地対策の名を借りたビジネスに利用された、と私個人は思っている。
 私自身も在宅医療に幾多の葛藤を感じながら力を注いで10数年が過ぎた。結局、残ったものは立派なシステムでもなくネットワークでもなかった。毎日の診療の中で長年付き合った患者が外来に来られなくなる、途中で老衰あるいは悪性疾患その他の理由によりやがて生を終える、そのような日常の時間の流れの中で、その方が生を終えるまでの普通の生活に付き合い続けることこそが我々かかりつけ医の職務である。人生という長い生活史の中で、必要な時、必要な分だけのお付き合いをする、それが結果として看取りであり、認知症の支援である。決して何かのシステムに寄りかかることで完結するものではない。
 我々医療に携わる者がその現場で患者、家族と膝を交えて“どうしようか?”と相談することがすべてのスタートであり原点である。それをふまえて現在用意されている各種のサービスの選択がなされるべきであり、訪問診療、訪問看護、訪問リハビリ等はあくまで必要に応じて患者に提供されるサービスの1つであって、それ以上のものでもなければそれ以下のものでもない。結果として、選択したいくつかのサービスの複合を称したものが多職種連携であり、地域包括ケアシステムである。そう考えればサービスの量と種類、そして医療サポートの有りようは、患者ごとに異なって当然である。無目的に計画された『多職種連携』が患者の経済的負担を増長させたのみであった事例は枚挙にいとまがない。
 この患者本位の視点に立たない特別なシステムやネットワークは決して地域医療の中核とは成り得ず、臨床の場において患者とその日常に直接向き合うことこそが地域医療の根幹である。中央の経済原理のみに基づいた医療プログラムだけでは解決できない問題が、我々地域の医療現場には数多く存在する。

(2019年10月 岩手西北医師会医報より転記)

副会長

植田 修

浮田 昭彦

髙橋 真

理 事

飯島 信

伊藤 達朗

伊藤 浩信

大森 浩明

金井 猛

北上 明

髙橋 清実

瀧山 郁雄

立本 仁

前田 憲一

監 事

菊地 大輝

瀬川 泰幸

参 与

森 茂雄

地域担当総務会委員

遠藤 秀彦

久保谷 康夫